音楽でも漫画でもプロレスでも、自分の好きなものに対する「造詣」に大きなコンプレックスを感じることがよくあります。浅いなあ、この程度でわかった気になっているなあ、と。
自分のまわりには尊敬に値するヲタクの人が、たくさんいます。
単純に詳しさの深度、知識量がすさまじい人。
詳しさはさておきオリジナリティのある切り口というか、アウトプットの角度というか、そういうセンスがビンビンの人。
単純に掘ることが楽しいから、というのに加えて、そういう人に憧れて追いつけ追い越せ、というのが自分のヲタ活の大きなモチベーションのひとつになっています。恥ずかしながら。
すごい人と同じ目線でコミュニケーションができたら、自分もすごい人になれるんじゃないかと。そういうことです。
まあ追いつけたことも追い越せたことも、一度もないですけど。
具体的な事象を挙げたりしたら読み物として厚みが出るのだろうけど、やんないよ。
で、そういうすごい人と対峙する際、どうにかして立っているステージの段差を埋めたくて、相手の専門外の分野の話を持ち込んだりすることが、よくあります。
たとえば、音楽に詳しい人と話すときの俺は、話題の随所に全然別分野の飯や漫画など他ジャンルのちょっとヲタっぽい事柄をまぶして、「(知識量として)完全に自分が下」というわけではないぞ、という形にもっていきたがるのです。
自分で書いててすごく恥ずかしいぞこれ。
でも、俺はこの行動によってマウントを取りたいわけではないのです絶対に。あくまで「相手を見上げる目線の角度を水平に近づける試み」なだけで「相手を見下ろす構図」にはしたくないのです。
誰に、何の言い訳をしているんだか。
至らぬ点が至っているかのように取り繕う作業をしているうちにこんなおじさんになってしまいました。見てくれなんか気にしないで必死になって至ろう、至っていこうと思ってきたし、明日も明後日もその先も思っているだろうし、そう思いながら呼吸をするように自然に取り繕って生活していくのだろう。