回転禁止の青春 − 2

70代も半ばの元気いっぱいな両親と3人暮らし、実家生活3年目のおじさんが、最近考えていることを書きます。

毎日の暮らしの中で「家族の会話」に引っかかるときがあります。
完全に身も蓋もない言い方をすれば「あ、会話にならんなこれ」と思うのです。

たとえば、主語がごっそり欠落したまま会話が進むことで結局何の話をしているのか全然理解できないときがあって、その都度いちいち「え、それは誰のこと?/何のこと?」と質問しなければならないことがよくあるんですわ。
そんなこんなで話の進みが遅い。行って戻っての繰り返しでじれったくなってしまうんです。
母も父も10年前はこんなに国語力がアレではなかったよな、歳をとったんだな…と少し寂しい気持ちになってしまいます。

はい、深呼吸。
スーーーーーーーーーーー
 ハーーーーーーーーーーー

あと厄介なのは、考え方において決定的に合わない部分があって、それについて指摘や議論を躊躇してしまうときですね。
最近のニュースに対する感想を言い合う中で「あれ、なんか(ちょっと具体的に書くのも憚られるレベルで)すごい偏見ぶっこんできたな」とか「うわあさらりと(ちょっと具体的に書くのも憚られるレベルの)差別的な表現」みたいなことを思うことがあるんですけど、やっぱ面と向かって子が親に説教たれるのも、ねえ。

はいはい、深呼吸深呼吸。
スーーーーーーーーーーー
 ハーーーーーーーーーーー

そうは言っても、基本的に両親に対してはたいへんな敬意を抱いています。
尊敬の念とともに、仕事に打ち込み、家を守り、子供を育て、家計と家系を維持してきたし、いまもそうしている。そしてそういう彼らの実直で勤勉な部分を1ミリも受け継げなかった自分の有り様から、「生まれてすいません」的な後ろめたい気持ちも常に感じているわけです。

かといってニコニコと「はい!そうですか!そうですね!父上母上!」もできないんだよなー、で、どうするかっていうと、いっつも「ぐーって押し黙る」。

なんだこれ!